asako_naturopathyの日記

病気は人生を変えるチャンス🎵

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記⑧ 鶴見クリニックで、自由が手に入った、、 

 しかし今回は、その恐れが安心して壁のこちらへ出て来て、今の自分と供に治療に取り組み癒やされていきました。それと同時に、恐れが重なり、見えるけれど手の届かなかった、長年やりたかった事も鮮明になり、心の中に虹が架かったようで感謝の気持でいっぱいになりました。それとこれは、私独自の感覚だと思うのですが、CSのため、お墓参りもままならなかったのですが、体調が良くなるということは、私の血液のルローも解消されつつあり、血液や細胞が浄化され、自分の中の遺伝子=ご先祖様も浄化されているような気がして、私なりの先祖供養の方法になり、気持ちが軽くなりました。

 このように私は多くの幸運に恵まれ、回復することができました。「病気=薬」という現代日本で、こんな素晴らしい治療を長年続けてきて下さった鶴見先生のお陰で、真実の医療に出会い、助けて頂けたのです。本当にありがとうございました。こんな超ラッキーな私ですが、鶴見先生にご指導頂いた以外に、治療の際に実践していたことを少しご紹介させていただきます。

  • ☆できる限り、先の事は考えず、今できる事を全力でやる。
  • ☆家の中の目に付くところ(洗面所の鏡、寝室の起床時に目に付く壁、廊下の突き当りの戸 等)に、「ありがとう!全快しました!」等々とカラフルな文字で書いた紙を貼り、目に入る度に、心の中や声に出して読む。
  • ☆ネガティブな言葉が心の中に浮かんだら、その後に「順調!順調!」「大丈夫!大丈夫!」と付け加える。
  • ☆私の場合、物事に取り組み過ぎて、本末転倒になる傾向があるため、1ヶ月に1・2度、信頼できるオーガニックレストランで最高に美味しい私に合うメニューを作って頂き、楽しい会話と供に食事をさせて頂けてリフレッシュできたこと。
  • ☆今の家族である夫と、もともとしっかりコミュニケーションが取れていて、強い信頼関係があったこと。
  • ☆日々良いことを見つけ、カラーペンで記録して、虹色ノートを作り、自分を励ました。

などです。

 改めて、鶴見先生ありがとうございました。富永さん、深井さんもありがとうございました。そしてCSの障壁になる会報のインクについても問い合わせて下さった森愛CLUB事務局の風巻さんもありがとうございました。引き続き、皆さまにはお世話になることと思います。これからもよろしくお願いいたします。

                        2021年8月 なかおかあさこ

 

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記⑦ ガンになった意味が見えてきた、、 

 そして初診から約1年後の2021年2月に、乳ガンの再検査を勧められました。検査に対してトラウマを抱えてしまっていた私でしたが、鶴見クリニックを通しての検査先の予約の際に、CSに関する配慮や協力のお願いを言付けして下さったお陰で、検査先の事前の下見や、お願いにも協力して頂け、スムーズにMRI検査を受けさせて頂くことができました。そしてたいへん驚いたことに、2月にも関わらず、低温調整されていた検査室で、MRIの電磁波を上半身に受けても、問題のない体になっていました。以前は、MRIを下半身に受けたにも関わらず、検査後に頭から足まで全身が辛く、数週間寝込んでいたのが嘘のようでした。検査前に、不安がる私に先生がかけて下さった「もう変な反応はしないから大丈夫だよ」という言葉どおりでした。

 そして有り難いことに検査結果も良くなっていました!!1年前に先生のご著書で拝読した、手術も抗ガン剤も放射線治療もなく良くなられた方々と同様に、私も良くなることができたのです。ただただ、断食や体に心地良い事を続け、充実した日々を過ごしただけなのにです。余りに驚嘆した私は、診察後、富永さんに「これは良くなっているのですよね?」とお聞きしたところ「良くなっていますよ!蛍光ペンで、線を引きましょうか?」と仰って、検査結果の「現時点で、悪性を疑う所見とは言えません」のところにオレンジの蛍光ペンで線を引いて下さいました。そのお陰で、徐々に実感が湧き、帰途の車中で声を上げて泣いてしまいました。そして泣きながら、この1年の自分の身体以外にも感じた変化についても思い返していました。

 治療のため「人生初の自分最優先の生活」を送るに当たり、自分の生育環境からの影響で、自分のことより、先ず家族の世話をすることが、恐ろしい位に習慣化していたことや、自分の限界や、危険な物や状況をいち早く知らせてくれていた敏感さを、弱さやわがままだと自分を責め、常識人になろうと無理を続けていたこと。その結果、自分自身がCSやガンを作り、本来の自分に軌道修正をするため、鶴見クリニックに出会わせてくれたのだと感じました。それまでも、自分の潜在意識には、多くの恐れが存在しているのを自覚しており、様々な方法で、恐れと向き合うことを実践してきておりましたが、気付くとその恐れは、透明なだけれど頑丈な壁の向こうに行き、心の奥から自分全体に影響をしたまま生活していました。

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記⑥ 体調だけでなく、すべてが順調に流れ始めた、、 

 この頃より、以前感じていた「人生の行き詰まり感」は消え、本来持ち合わせていた、見えない流れと繋がるセンサーのようなものが復旧し、物事全体を俯瞰的に捉え、そこから前に進むためのメッセージやサインを受け取る感覚も回復していきました。すると次々にシンクロニシティーが重なり、更に順調に物事が流れているのを感じ取ることができました。コロナ禍で、当時はパニックになっていた私でしたが、コロナ禍のお陰で、クリニックに通う首都高はガラガラで、クリニックの患者様も減っていたため、他の方と一緒にならず、ニオイの心配なく、クリニックに滞在でき、先生からも治療以外の貴重なお話や書籍をご紹介頂いたりしました。またコロナ対策で、クリニック内に光触媒施工をして下さったお陰で、染み付いたニオイが根本的に除去され、更に快適になり、自分はとても幸運で恵まれていると感じました。 

 またドームに入りながらの点滴時には、看護師の富永さんより、食品や食事についての補足情報を教えて頂いたり、大凡一般医療機関では理解されない私の敏感さからくる体調の変化についても、私の立場になって様々な視点から助言や励ましを頂けました。また現代社会においては「障害」扱いになってしまう位の私の敏感さを褒めて下さることもあり、自分を許すきっかけをいただくこともできました。受付の深井さんは、いつも優しい笑顔で迎えて下さり、安心感を頂けました。また、不思議なことに、私の敏感さに関心を寄せて話しかけて下さいました。ただそれは、私の経験してきたことのある興味本位からのものではなく、私自身を信頼してくださっているからだと感じ、そのことも自分を許し受け容れるきっかけを頂けました。そんあお二人にもとても感謝しています。そんな断食と通院を繰り返す、コロナ禍というのに私にとってはとても充実した日々を過ごし、日を追うごとに体調は良くなっていきました。活性炭マスクの出番も以前より、減っていきました。

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記⑤ どんどん良くなっていく、、

 断食後の食事はEコースで、それまで健康のためにと思い続けていた、圧力鍋で玄米を炊いたり、手の込んだ料理を作らねばならないという義務感から解放され、気持ち的にも軽くなりました。早速シンプルな炊飯器を購入し、白米で鶴見式ご飯を炊いたところ、簡単な上に、とても美味しくて、幸せな気持ちになりました。食材に関しては、もともとCSで自然食品店の物を利用していたことや、自然農をする友人達や、地元の無農薬農家さん達から豊富に手に入れることができたので助かりました。それらを使ったおろしやサラダがおいしくて、おいしくて、食事をすることで細胞がキラキラしていくような感じがしました。

 温湯セラミックを入れての入浴時には、体温計を持ち込み、体温が38度になるまで入りました。以前はどれだけ長く半身浴をしても、頭から汗が流れることはなかったのですが、温湯セラミック入浴後の身体の温まり方と全身から流れ出る汗は大量で、爽快感があり、デトックスしている実感がありました。CSである私は、何年もの間、他の方の使うシャンプー等で苦しくなるため、公共の温浴施設を利用することができなかったのですが、この温湯セラミックは、ヘタな温泉に行くよりも、絶大な効果を感じ、すっかり虜になってしまいました。一見、薄手で効果の解りにくいホルミシスのシャツやシーツもとても温かく驚きました。

 サプリメントについては、CSのため、それまでどんなサプリメントを飲んでも、何らかの反応や、不快感があり、続けることができなかったのですが、鶴見式は問題なく飲み続けられました。断食開始時は、便秘になることもありましたが、医薬品を使わず、鶴見式ミネラルだけで対応することができ、とても有り難かったです。

 その後は、当初は2週間ごとにクリニックに通い、玉川鉱石ドームと水素点滴を受けました。水素点滴も反応してしまうか不安でしたが、不快な反応は全くなく、ドームと点滴後は、とても体調が良くなるので、驚きの連続でした。

 このように『鶴見式』を始めてから数週間で、私の体調は劇的に変化していきました。一人で歩くこともままならなかったのが、スタスタと歩き、1時間位ウォーキングができるようになり、近くの神社の180段ある石段を、ゆっくりですが、休むことなく上がり切れるようになっていました。普段は観光地で、人で溢れている神社も、緊急事態宣言下で、人もおらず、満開の桜の中でのお参りは、とても贅沢でした。CSで体調が悪く、何年もこの神社にお参りすることが叶わなかったため、初めて一人で石段を上り切り、お参りができた時は、嬉しさと有り難さで、泣きながら手を合わせたほどでした。

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記④ 鶴見先生ご指導のもと、生活全般を見直すと変化が、、

 初診後、初めて玉川鉱石ドームに入った時のことは、今でも忘れられません。それまで入った、どんな温泉や岩盤浴でも感じられなかった癒やしとパワーを感じ、自然と涙が溢れてきました。出た後には、驚くほど体が軽くリラックスして、眠っていた自然治癒力が目覚めたような実感がありました。一生服薬が必要だと言われていた橋本病に関しては、先生より「そんな病気は存在しないから、薬は止めるように」とのお言葉を頂き、見えない首輪を外して頂けたようで、とてもとても嬉しかったです。「この方法しかない!」と確信した私は、先生の仰る事を全て実践する決意をし、先の不安は考えず、翌日から、一心不乱に「鶴見式免疫療法」に取り組み始めました。そしてそれは同時に「人生初の自分最優先生活」を体験することでもありました。

 まずは18日間の断食と半断食でした。幸い私は、他の断食法を生活に取り入れていたお陰で、断食による好転反応も慣れており、スムーズに取り組み始めることができました。先生のご著書を読みながら取り組むことで、自分の病気の原因や、それを改善する方法を理解することができ、納得しながら進められたのが、とても有り難かったです。そして何より先生ご自身の携帯電話の番号とメールアドレスを頂戴し、不安な時は、直接先生にご連絡をさせて頂けたのもとても有り難く、心強かったです。時折、先生より、一般メディアでは伝えられない物事の真実についてもお知らせ下さるメールも頂戴することができ、洞察力を養えたとともに「一般医療や常識の通用しない自分に対する肯定感」を育成することにも繋がり、とても助けて頂けました。 

 断食の次はウォーキングでした。しばらく一人で散歩もできない私でしたので、体力的にはとても不安で、またコロナによる第一回目の緊急事態宣言下と重なり、わが家の前の遊歩道は、散歩やジョギングをする人が増え、前を行く人の柔軟剤等のニオイで苦しくなり、左右とニオイを避けながらの歩き始めでした。また道沿いの家に干された洗濯物からも強いニオイを感じ、苦しくなっては活性炭マスクをして歩いていました。ニオイで苦しくなった時は、つい心の中にネガティブな言葉が浮かんできてしまうため、そんな時は声に出して「ポジティブ!ポジティブ!」「しあわせ!しあわせ!」など前向きな言葉に変換し、歩くリズムに合わせて呟くようにしました。開始当初は、ゆっくり10分位歩くのがやっとで、それでも途中のベンチで休憩をとりながら歩きました。帰宅後は、久しぶりに動いた反動で、酷いめまいと頭痛と疲労感のため、そのまま眠ってしまいました。それでも、そのめまいや頭痛はそれまでのものとは違い、とても心地良い睡眠を味わわせてくれ、ウォーキングが楽しくなっていきました。

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記③ とことん追い詰められ、鶴見クリニックへ、、

 このようなことから、CSを発症してしまうと、人の居る所は必ず柔軟剤や洗剤、化粧品や香水や整髪料の香りやニオイが充満しているため、それまでのように学校や仕事に通うことも、気軽に友人と会い、おしゃべりや食事をすることも、公共交通機関を利用することも、体調不良で病院を受診することも、災害時に避難所に行くことも困難になってしまいます。症状が重い場合は、家族の冠婚葬祭にすら出席することができません。しかも原因物質は目に見えないものであるため、周囲の理解を得るのも困難を伴います。それらのことから社会からの疎外感や孤独感、自尊心の低下等も相まって、人生に行き詰まったような状態になってしまうのです。更に私の場合は、PTSD(以前、北京在住時に天安門事件に巻き込まれた)の影響で、「非常事態」や「緊急事態」という言葉でフラッシュバックや極度の緊張とパニックが起こり、丁度乳ガンと診断された次期が新型コロナが流行し始め、世の中が非常事態になり、CSにそれらの症状も加わり、その状態での入院・手術・通院と言われても、もはや途方に暮れるしかありませんでした。それで夫とよく話し合い、一旦、病院をキャンセルし、どうしても手術をしなくてはならないとしても、鶴見先生にお世話になり、少しでも体力が上がった上で、それからもう一度、その先にことを考えることにして、鶴見クリニックに伺いました。

 鶴見クリニックを知ったきっかけは、もともと松田麻美子先生の講演会に行っていたことで、日本で同じような方法を取り入れている先生はいらっしゃらないかと調べたことで、直ぐに鶴見クリニックに辿り着くことができました。初診に先立って、鶴見先生のご著書を拝読したのですが、その内容は全て納得でき、説得力のあるもので、大変な不安のまっただ中にいた私の心に、希望の光を灯して下さり、心の奥に「治るかも知れない」と直感を与えて下さいました。初診時にお会いした先生は、白衣もおめしになられておらず、しっかり患者に向かい、断食の必要性や、ご著書にない最新の情報なども、熱く語って下さり、私は「この先生は、とても正直で、人間味のある方だ」と感じ、信頼感を抱くことができました。そしてその時から、心のスイッチが切り替わり、先生の提唱されているナチュロパシーに取り組む力が、ムクムクと湧き上がり、何年間も抱いていなかった「物事に対する意欲」も再び芽生えて来るのを感じました。

化学物質過敏症でガンになり、自然療法で回復した治療記② わたしの詳しいCS症状、心身ともに追い詰められていた。

 具体的に私の発症のきっけけは、2008年頃から流行り始めた、香り付き柔軟剤でした。それまでも自分では柔軟剤を使ったことが無かったのですが、わが家は、一戸建ての1階部分が、夫の経営する合氣道の道場で、そこに通う方の中に、道着にその香りつき柔軟剤を使う方が出始め、その香りが2階の自宅部分へと漂って来るようになり、数年間に渡り少しずつ吸い込んでしまった結果、多くの症状を抱えることになってしまいました。またそれらの症状は、それまでに経験のないもので、発症当初は『アレルギーかな?』とか『更年期障害かな?』とか『自分の努力や精神力が不足しているためでは?』などと思い、CSだと辿り着き、専門医を受診し診断されるまでに数年かかってしまい、その間にも症状は酷くなっていく上に、香りつき柔軟剤を使う方は増え続け、自分がCSだと判明した頃には、それ以前の日常生活が送れないほどに症状は重くなっていました。

 私の具体的な症状としては、前記した症状全てで、例えば夫の介助なく一人で散歩もできない位の酷いめまいや動悸、息苦しさ。特に運動をした訳でもないのに、激しい筋肉痛や関節痛。少しでも新たに曝露(化学物質に接触すること)をしてしまうと、それらに加え、酷い吐き気、腹痛、下痢、眼やのどの痛み、悪寒、手足の震えが同時に起こり、精神的にも、それまでの自分とは思えない位の不安感に襲われ、それらが小康状態になるまで、ただベッドの中で横になるしか方法はありませんでした。それでもベッドの中で熟睡ができるわけでもなく、頻繁に恐ろしい悪夢にうなされてしまいました。

 飲食に関しても、それまでは水道水のままで歯みがきができていましたが、刺激を感じるようになり、浄水器の水を使用するようになったり、入浴時のシャワーも刺激臭で苦しくなるため、浄水機能のあるシャワーヘッドに交換をしたりしました。食品添加物にも全て反応するようもなり、白砂糖や酸化した油脂等にも反応するため、外食や市販の弁当や惣菜(病院の入院食も!!)一切食べられなくなってしまいました。それでもその当時は無駄な努力をして、自分で料理をしようとし、お米を計量する時に、記銘力低下障害のため、1合、計っては『あれ?今、何合だっけ??』となってしまい、たった2〜3合のお米を計るのにも、メモ用紙を用意して、正の字を書き、記録しながらお米を炊かねばならず、めまいと手の震えで、幾度となく包丁で手を切り、ある時は救急車のお世話になり、9針を縫うケガをしてしまいました。幸いケガによる機能的な後遺症は残らなかったのですが、ナイロン製の縫合の糸に反応し、異常に腫れ上がってしまったため、抜糸前に糸を間引いて貰う必要があったほどでした。